top of page

design Shigeki MARUI

Photo(準備中)

第11回公演『ザ・サウナスターズ』

京都芸術センター​現代演劇試演プログラム3/第13回大世紀末演劇展/第二回アトリエ劇研演劇祭参加

初のツアー公演。初の試演会。初の東京公演。2年ぶりに行われるアトリエ劇研演劇祭にホスト劇団として参加。京都芸術センター主催の企画で「試演会」というプレッシャー、「東京」というプレッシャー、京都では「料金二倍」というプレッシャーに、勝ったり負けたりしながら、より社会的に認知度を高め、劇団を大きくするために奮闘する。意外に手強かったのは、京都本公演だった。見たくないものも見せられる、前代未聞のドタバタ・サウナ・コメディ。露出劇団の歴史始まる。

Data

京都試演会/京都芸術センター  現代演劇試演プログラム3 
2001.2.28.(Wed.) 1ステージ 
京都芸術センター・フリースペース
東京/第13回大世紀末演劇展参加 
2001.3.6.(Tue.)・7.(Wed.) 2ステージ 
こまばアゴラ劇場(東京) 
京都/第二回アトリエ劇研演劇祭参加 
2001.3.31.(Sat.)・4.1.(Sun.) 4ステージ 
アトリエ劇研(京都) 

クレジット

作/黒川猛

演出/ジラフ教授

舞台監督/浜村修司(GEKKEN staff room) 
照明/モリサワメグミ(フリー) 
音響/小早川保隆(飛象社) 
小道具/堀江洋一 
衣装/東川原菜緒 
マスク製作/宮崎宏康 
刺青デザイン/はるいひろふみ 
制作/丸井重樹 
制作補/山方由美・藤川沙恵

 

出演

看板番台・粕貝富士子/東川原菜緒 
浪人生・近田吉慶/堀江洋一 
火消し・鏡善太郎/黒川猛 
三代目・最中忠治/徳永勝則(フリー) 
ドリルマン/宮崎宏康 
主任・村野健/ジラフ教授 
声/浜村修司(フリー)

 

主催/京都芸術センター(京都試演会)、(有)アゴラ企画(東京公演)、アトリエ劇研(京都公演)

京都芸術センター制作支援事業

料金  東京公演 1,200円/京都公演 前売1,800円 当日2,000円 劇団特別料金1,500円

観客動員  約440人(ツアー合計)

Details

舞台は岸和田にある老舗の銭湯「粕の湯」。 
二十世紀末の大晦日の夜。 
サウナに集う、 
火消し、浪人生、三代目、ドリルマン、主任 
看板番台。

大阪は岸和田の“麻湯町”。 
多額の借金を抱え、経営が困難になってきた「粕の湯」のサウナの中が舞台。 
人口が減り、銭湯離れも進んで、借金は膨らむばかり。 
そんな折、“麻湯町”に歴史的発見となるかもしれない古墳が発見され、ちょっとした観光地となった“麻湯町”に、新しいホテルや旅館が建ち始める。同時に、あちこちから温泉が湧き出し、「粕の湯」の客足はますます鈍るばかり。

 

そんな、大晦日。

 

新しい年を区切りに、暖簾を降ろすことにした「粕の湯」三代目の看板番台、粕貝富士子。そうとは知らずに、当番をサボって一風呂浴びに来た消防団員、鏡善太郎。センター試験を二週間後に控え、久しぶりにやって来た浪人生、近田吉慶。新たな市民との交流を求めて、浜の方からやって来た最中組三代目組長、最中忠治。トレーニングにやって来た(らしい)覆面レスラー(らしい)、ドリルマン。そして、「粕の湯」の土地と権利を買いに来た観光開発会社主任、村野健。

 

「粕の湯」は売り渡されてしまうのか。当番をサボってきている鏡善太郎の運命は。二浪中の近田吉慶は東京に行ってしまうのか。浜の方から来たと言う最中忠治の秘密とは。

 

そして、ドリルマンとは一体何か。 

 

淡々と、だらだらと、描き出される岸和田の日常。 
うそ、大袈裟、まぎらわしい人々。 
うっとうしい、暑苦しい、息苦しいサウナの中。 

 

次第にテンションは上がり、 
明かされるどうしようもない現実と、 
増えていくどうでもいい事実。

 

ベトナムからの笑い声・第11回公演は、 
見たくないものも見せられる、 
前代未聞のドタバタサウナ・コメディ。

Director's note

<京都試演会>

どうも。 
私たちは,京都を中心に活動する劇団、ベトナムからの笑い声です。 
1996年の旗揚げから5年になります。

旗揚げから3年目の1999年3月、第1回大阪演劇祭CAMPUS CUP’99にノミネートされました。このコンクールにおいて私たちは、優秀賞を獲得しました。まずは関西の学生劇団中2位。そしてめざすは、3年後に京都で5本の指に入る劇団になること。

2000年3月には、第2回大阪演劇祭(トリプルメーカープロジェクト「Selfish Bond」)に参加するというチャンスをいただきました。結果、ベトナムは初めて本格的な外の世界に触れることができました。そこで私たちはまだまだ未熟だということ、しかし私たちもなかなかやるということ、そして私たちがいかに特殊で、いかにオリジナリティあふれる集団かということを認識し、確認することができました。

そして、今回です。

今回は、公開で試演会を行うことからスタートします。 
京都芸術センター主催「現代演劇試演プログラム3」。ここでは事前に演技や演出を試すことができ、的確な批評が得られ、本公演でよりよい作品を観客に提供することができます。今年から始まったこの試み、第1回目はMOMO「錦鯉」、第2回目は三角フラスコ「惑星のプロペラ」と京都を代表する劇団が続き、第3回目が、私たちベトナムからの笑い声「ザ・サウナスターズ」なのです。

試演会一週間後に、ベトナムは東京に進出します。 
第13回大世紀末演劇展@アゴラ劇場。ベトナムは「烏丸ストロークロック」と共に京都代表として参加します。

東京公演から3週間後、ベトナムは京都に戻ってきます。 
第二回アトリエ劇研演劇祭にホスト劇団として参加します。

ベトナムからの笑い声はこれからも京都で活動を続けます。そして、京都で5本の指に入る劇団を目指します。 
しかしそれは、あくまでも一つの段階にすぎません。京都の小劇場界で少しばかり有名になったところで、現状は何も変わらないのです。もっといえば、日本の小劇場界で少しばかり有名になったところで、俳優は演劇で食っていけないのです。目標は、そんなところにあるわけではないのです。

もっと大きい。

私たちは「演劇人」ではないと思っています。 
「演劇人」という特殊な人にはなりたくないと思っています。 
もしくは,「演劇人」が特殊な存在でなくなればいいと思っています。

ベトナムが京都で5本の指に入るという目標は、そのホンの1段階です。私たちは確実に昇っていきつつあります。そう確信しています。皆さんの応援、ご支援、期待しています。それでは。

ベトナムからの笑い声  丸井重樹 
(2001年2月)

<東京公演>

東京の皆さん、始めまして。 
私たちは、京都を中心に活動する劇団、ベトナムからの笑い声です。1996年の旗揚げから5年になります。過去に10回公演。ちょっとした賞をもらったり、ちょっとしたイベントに参加させていただいたりしましたけど、まだまだ無名の劇団です。 
…あたりまえのことですが、京都の小劇場界で有名になっても、関西の小演劇界で名声を勝ち得ても、もっといえば、日本の小劇場界で少しばかり有名になったところで、私たちの現状はちっとも変わりません。テレビに出たり、映画に出演すれば別ですが、俳優は演劇で食っていけないし、街を歩いていて声を掛けられることなどありえません。

演劇が、コンサートや映画や遊園地やインターネットやゲームと対等なエンターテイメントにならない限り、ずっと演劇は特別な存在でしかない。私たちは狭い狭い世界で、ちまちまと勝負しなければならない。「いいねえ、好きなことができて」って言われつづける。

―――行き着く先は、もっともっと先にある。

私たちは「演劇人」ではないと思っています。 
「演劇人」という特殊な人種にはなりたくないと思っています。 
もしくは、「演劇人」が特殊な存在でなくなればいいと思っています。

今日はどうもありがとうございます。最後まで、どうぞごゆっくりご覧下さい。 


ベトナムからの笑い声  丸井重樹 
(2001年3月)

<京都公演>

最近気になるCMは、授業参観風景のJ-PHONEのCMと、反町隆史が出ている「ミンティア」というスーッとするお菓子のCMと、浜村淳が出ているユニバーサルスタジオ・ジャパンのCM。彼の「なんや、新聞やないかこれ」という台詞の切れ味はさすがです。古典的なネタなのに見ると必ず笑ってしまう。それはさておき、くしくも今回の京都公演初日に噂のUSJは開園した。

僕は、ことあるごとに「ベトナムの公演をデートコースに」と言ってきました。映画/遊園地/ライブ/花見に行くはデートコースなのに、何故“劇場に行く”はデートコースにならんのだ。もちろん、現状ではハンデが大きすぎて、全く勝負にならない。週末にしかやらないし、料金は高いし、情報は出回らない。演劇人は、「熱い」「濃い」「変」「怪しい」「気色い」と思われている。「いやいや、いい作品を作ればそれでいい」。果たしてそうか?

演劇が、映画やライブや遊園地やインターネットやゲームと対等なエンターテイメントになろうとしない限り、ずっと演劇はマイナーな存在でしかない。演劇界という、狭い狭い世界で、ちまちまと勝負しなければならない。勝ったところで、「いいねえ、好きなことができて」って言われ続ける。週末のデートに劇場は選ばれない。どんなにうちの芝居が面白くても、チケットの値段は3倍でも、カップルはUSJにいっちゃう。

私たちは「演劇人」ではないと思っています。 
「演劇人」という特殊な人種にはなりたくないと思っています。 
もしくは、「演劇人」が特殊な存在でなくなればいいと思っています。

USJ開園後初の週末、よくぞお越しいただきました。最後まで、どうぞごゆっくりご覧下さい。

ベトナムからの笑い声  丸井重樹
(2001年4月)

PREVIOUS Stage

NEXT Stage

bottom of page