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design Shigeki MARUI

Photo(準備中)

第12回公演『ハヤシスタイル』

CAMPUS CUP RETURNS参加

約一年ぶりの本公演。初の二週間連続公演。東川原菜緒引退公演。客演に大学時代からの戦友・高木俊輔と、ビギナーズユニットで見つけた逸材、樋口真を迎える。大阪公演は、過去3年のCAMPUS CUPで賞を獲った6団体の連続公演。大阪市立芸術創造館の主催で行う。一時期黒川が働いていた撮影所を舞台に、そこで得た噂をふんだんに盛り込む。1年の充電を経た宮崎の創作意欲も爆発。"身につけられる現代美術作品"の集大成が次々登場。また、劇中にでてくる番組のテーマソングを、後輩・信國に依頼。これまた劇世界と恐ろしくマッチング。ベトナム最後の(?)女優・東川原も、女であることを最大限に悪用したキャラクターを発揮。飛び道具満載。ある意味人形劇?  ある意味コント?  おそらく二度と見れない、かぶりもの劇団ベトナムの集大成。次回からは方向転換。第三期ベトナムの歴史が始まる。

Data

京都 
2002.2.9.(Sat.)―11.(Mon.) 4ステージ 
アトリエ劇研(京都)  
大阪/CAMPUS CUP RETURNS 参加公演 
2002.2.16.(Sat.)・17.(Sun.) 3ステージ 
芸術創造館・大練習室(大阪) 

クレジット

作/黒川猛

演出/ジラフ教授

舞台監督/五木見名子
特殊美術/宮崎宏康 
音楽・映像/信國(Nov.)恵太 
衣裳・小道具/東川原菜緒 
音響(京都)/小早川保隆(GEKKEN staff room) 
音響(大阪)/北島淳(蚤の市) 
制作/丸井重樹 
制作補/山方由美

 

出演

荒木 竜 / 黒川猛 
林 勘定 / 樋口真(フリー) 
鳥羽をどり / 東川原菜緒
 *東川原最終公演。 
左 右近 / 高木俊輔(加糖旅団) *高木君も最終公演。 
北野男一 / 堀江洋一 
築備跳太 / 宮崎宏康 
久保 学 / 徳永勝則 
丸尾博史 / ジラフ教授

声の出演 
監督1 / 信國恵太 
監督2 / ジラフ教授 
 声  / 黒川和義・登美子

 

主催/大阪市立芸術創造館(大阪公演)

京都芸術センター制作支援事業

アトリエ劇研協力公演(京都公演)

料金  800円 当日1,000円

観客動員  約487人(ツアー合計)

Details

舞台は「菊葉」撮影所。通称”六八の間”と呼ばれる、役者たちの待合所。

時代劇全盛の時代は終わり、テレビ番組も近代的なビルの中のスタジオで撮影される時代。「菊葉」撮影所でも、現在時代劇は一本のみ。他に、特撮ヒーロー番組2本と長編ドラマを2本撮っているが、いずれも鳴かず飛ばず。一部マニアには熱狂的支持を受けるも、視聴率は低迷を続け、会社は傾く一方。

 

そこで社長は、再起を賭けて新ドラマの撮影を決断した。

 

脚本には、映画「少し厚めの死に化粧」で注目を集めた新人を抜擢。 
一方、新ドラマ導入により、現在撮影中のいくつかの番組が打ち切りの危機に?

 

時は、京都に初雪の降った十二月のある日。 
東京から敏腕プロデューサーが招聘された。

 

「バルバロマン」「レッドマザー」「モロッコ」「ザ・サウナスターズ」 
これまでも数々の特殊美術が乱れ飛んだベトナムの公演。 
番外公演の人形劇を挟んで一年ぶりの本公演は、その集大成となる。

 

いつも以上にキャラクター重視。 
いつも以上に見た目勝負。 
いつも通りのくだらなさ。 

 

どこにもない。騒がしい。無意味。 
時代批評も問題提起も感動も感心も脈絡もない。 

 

ただ、笑える。

 

関西小劇場界の穴場、ベトナムからの笑い声、今回も正念場です。

---Key Words

■「ハヤシスタイル」
ベトナムの公演のタイトルにはたいていたいした意味がない。 
第8回公演までは、比較的内容に即したタイトルだった。第9回公演の「レッドマザー」から様子がおかしくなる。三本のオムニバスのどこにも「レッド」も「マザー」も出てこなかった。観客に明かされない裏設定ではすべての話に「レッドマザー」が登場していたのだが。第10回公演の「モロッコ」も意味不明だった。賞金稼ぎ狩りの話で、カサブランカ(モロッコにある都市)とマフィアがイメージ的に重なった…というのは全くのこじつけで、舞台上に「トロッコ」が出てくるからというのが本当の理由。なので、今回のタイトルにもほとんど意味はない。まあ、登場人物の名前を足したぐらいに思っていただければ。

 

■「菊葉」撮影所
黒川は、2000年の年末まで約半年間京都の小道具会社で働いていた。 
今回の話の中には、彼が京都の撮影所で遭遇した実話がふんだんに盛り込まれている。「暴れん坊将軍」、「大江戸を駆ける」、「水戸黄門」などなど、数々の撮影に携わった時の体験談が今回のストーリーの元となったことは確かだ。が、実際の芝居の中に出てくるエピソードのどこまでが本当で、どこまでが創作かはわからない。
今回の舞台となる「菊葉」撮影所は、もちろん架空の撮影所。 
現在「菊葉」撮影所では、時代劇を1本、特撮番組を2本、2時間の単発ドラマを2本撮影中。8個あるスタジオはいっぱいいっぱい。それでも落ち目なのは、番組がヒットしていないからで、東京から敏腕プロデューサー(徳永)を招聘して、現代劇のドラマをヒットさせる算段だ。そのためにはスタジオを空けないといけない。果たして、どの番組が打ち切りとなるのか。

■「少し厚めの死に化粧」
「菊葉」撮影所が、これまでの番組を打ち切りにしてまで導入する新ドラマが「ファンタジーショウ」。その脚本を担当するのが、映画「少し厚めの死に化粧」の脚本を担当した新人脚本家・荒木(黒川)。 
小劇場の脚本を書いていた荒木が、初めて書いたシナリオが「少し厚めの死に化粧」。下品極まりないコメディとしてごく一部で高い評価を受ける。高校時代に野球部でバッテリーを組んでいたピッチャーとキャッチャーが同じ日に葬式と結婚式を迎える。引き裂かれるバッテリー。引き裂かれる元野球部員たち。そこで起こる悲喜こもごも。 
「小劇場の脚本家」、「コメディ専門作家」、「下品極まりないコメディ」など、登場人物の荒木は、ベトナムの脚本家・黒川の姿と重ならざるを得ない。荒木を演じるのも、もちろん黒川なわけで、劇中の荒木の発言は要注目だ。

 

■特殊衣裳?
第6回公演以降、宮崎宏康の創る衣裳や舞台装置は、作品に多大なる影響を与えてきた。ベトナムの観客が1.5倍に膨れ上がった第6回公演「バルバロマン」を見た人は、タイトルにもなった「バルバロマン」の姿が印象に残っているに違いない。今回は、「バルバロマン」をはるかに凌ぐ衣裳が登場。宮崎宏康の作る特殊衣裳の総決算とも言うべき公演となるかもしれない。黒川曰く、「もう今回でかぶりものは終わりやな。出尽くした」だそうだ。 
宮崎宏康は、大学時代の同期生であり、ベトナムにも出演したことのある中川剛氏と組んで、現代美術作家としても活動を行っている。もともとは大学(京都教育大学)の彫刻専攻だった彼の最初のヒット作品は、「脚気マシーン」。鉄の玉を使って、ふくらはぎをひょこっと上げさせる装置で、「たけしの誰でもピカソ」で絶賛された。その他には、「しいたけ人間」、「チューリップ人間」、中川剛氏と組んでからは、「エラ族」(第9回公演に登場)、「筒男」、「飛ぶ男」、「乳男」("OPPAI ART LAB"・静岡大道芸フェスティバルに出品)などなど。 
なお、一連の作品群が、2002年のフィリップモリス・アートアワードの第一次選考を通過。4月に公開二次審査の末、それを通過すると、なんとニューヨークで展覧会を行える上に、賞金200万を獲得できる。楽しみー。

 

■オリジナルソング?
今回舞台となるのが、「菊葉」撮影所の第6スタジオと第8スタジオの間の控室。 
それぞれのスタジオで撮影している番組の主題歌を作成。芝居の中で流すことになった。作詞・作曲は信國(Nov.)恵太。京都教育大学の体育学科(7回生在学中。今年卒業見込み)で、ボクシングと野球をやっていたにもかかわらず、現在は音楽をメインに活動。高木・黒川・丸井・堀江の共通のバイト先である「くいしんぼ」のバイト仲間。 
ベトナムと作家である黒川の意図をよく理解してくれて、なんともインチキ臭い、微妙な曲を3曲製作。オーソドックスなつくりであると共に、「いやいや、これ明らかに○○のパクリやん」って部分が多数。加えて、いたっていい加減な歌詞。ベトナム初のオリジナルソングは、初参加で、しかも台本も渡さず数少ない情報とイメージだけで創りあげたにもかかわらず、非常にベトナムらしい曲となっている。 
なお、信國の名誉のために言っておくと、他の彼のオリジナル曲は、決して何かのパクリではない。ボーカル黒川・ギター高木・その他信國のバンド(岩本天王)のために書かれた「Winter's Emperor~冬将軍」は、なかなかの出来だった。彼は卒業後も、音楽活動を続け、出来ればその仕事で食っていきたい意向である。興味のある人はご連絡ください。

Director's note

失われた10年。20世紀最後の10年間をそう呼ぶらしい。果たして何が失われたのか。

例えば”想像力”。例えば”忍耐”。例えば”組織”。例えば”職人”。例えば”伝統”。 
わからない・しんどい・不自由・非合理的・不条理は排除されてきた。世はIT時代真っ盛り。そして、わかりやすい・簡便・自由・合理的・説明可能なことが選択されてきた。

もちろん僕たちも、昔の人ほど”忍耐”があるわけではないし、あらゆる”組織”や”伝統”をかたくなに守ろうとするわけではない。おかしなことはおかしいとはっきり言う。でも、今の人ほど”想像力”がないわけではないし、”職人”や”伝統”の世界に否定的ではない。失われた10年である90年代、そしてその直前の80年代に中学・高校・大学生活を送った僕たちは、ちょうど過渡期の世代といえるのかもしれない。

ベトナムの芝居は、ボーッと見ている人には、うるさくて下品で、単に不条理なお芝居です。”想像力”を働かせて、いろいろ考えながら見ると、見た目や台詞以上の世界観が広がってきます。わかりやすい芝居とはとても言えない。またベトナムの芝居では、これまでも、”職人”的な人たちの馬鹿馬鹿しさと愛しさ、守るべき”伝統”と壊されるべき”伝統”…などなど描いてきた。 
今回の芝居は失われた10年へのオマージュ。失われた10年で失われたものたちを、ちょこっと見直す、集大成です。……ちょっと大きく出すぎか。

今日はどうもありがとう。最後まで、どうぞごゆっくりご覧下さい。

ベトナムからの笑い声  丸井重樹
(2002年2月)

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