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design Shigeki MARUI

Photo(準備中)

第23回公演『ベトナムイサン』

​第9回精華演劇祭「いちげんさん」参加

6年ぶりにして、三度目の大阪公演。オムニバス公演になってからは初めてとなる。

しかも、関西の拠点劇場を目指す、精華小劇場進出。京都舞台芸術協会の推薦を受けての"精華演劇祭"参加と、何かとプレッシャーのかかった公演。そのため、過去の作品から選りすぐりのベスト版の再演とし、休団中の特殊美術・宮崎宏康を今回限りで呼び戻し、演出のクレジットを戻し、細部にまで気を配り、準備期間を長くとり、スタッフも万全に整えて、「負けられない戦い」を標榜して望む。結果、負けはしなかったが、勝ちもしなかった。
勝ちにまで至らなかった原因は、以外にもステージ数であった。劇場に長く滞在し、長く公演するという、精華小劇場の趣旨にギリギリ乗れる範囲で、仕込みから本番まで10日間、劇団史上最高の8ステージを敢行。しかし、齢30を超えた劇団員の体力では、全ステージを万全の状態で乗り切れなかった。…まあ、普通に考えて、3日間2ステージづつ、あんなにバタバタした芝居をやるのは、どうかしているのかもしれないが。

それでも、"精華演劇祭vol.9"参加劇団の中では最高動員を記録した。劇団としても、1公演では最高動員となった。

Data

2008.2.8.(Fri.)ー12.(Tue.) 8ステージ
精華小劇場(大阪)

クレジット

脚本/黒川猛

演出・制作/丸井重樹

秘書/山本佳世

舞台監督/浜村修司

特殊美術/宮崎宏康

音楽/Nov.16

音響/小早川保隆 

音響操作/児玉菜摘

照明/高原文江

美術製作・大道具/丸山ともき
大道具/小島聡太

映像/加藤文崇

舞台写真/仲川あい

Web予約フォーム/TheaterReservation

出演

黒川猛 

徳永勝則

堀江洋一

松村康右

丸井重樹

​宮崎宏康

山方由美

大道具班

声の出演

信國恵太

中川剛、高木俊輔、田中遊(正直者の会)、大藤寛子、川上明子、磯村令子、池辺茜、四宮章吾(悪い芝居)、三國ゲナン(悪い芝居)、鈴木とおる(悪い芝居)、藤代敬弘(悪い芝居) 他

京都芸術センター制作支援事業

料金  1,800円  日時指定割引1,500円  ペアチケット2,500円  前夜祭特別価格 1,200円

観客動員  約650人

Details

過去に上演した中短編の中から選りすぐった、ベストセレクション。

「第六師団」は、初演時からやり残したことの多かった作品。
今回のラインナップの中で唯一脚本の一部を書き直し、宮崎宏康の特殊美術にも大幅に手を加え、役者の演技にも磨きをかけ、満を持しての再演となる。勢いとスピードではなく、繰り返しやぬるい間や“何もしない”ことで笑わせる、ベトナム史上シュールで不条理度の高い作品。

「夏恋」は、ショッカーが「キィー」「キィー」言うだけの作品。
あえて言うなら、私たちには「キィー」「キィー」としか聞こえなくても、深刻な世界はあるし、逆に言えば、私たちの日本語は、宇宙人には「キィー」「キィー」聞こえているかもしれないのである。
…ベトナムの短編の中でもナンセンス度の高い作品。

「ロールプレイングゲーム」は、いわずもがな、某有名RPGのパクリ。 

「天覧コント」は、好評につき、前回公演からのラインナップ。
天覧試合ならぬ、天覧演芸会に招聘されたコントグループ・大森ヘップバーン。果たして彼らは、無事に、あのお方、の、前で、コント、を、上演できるの、か? イデオロギー批判ではありません。むしろ、皇族に過剰反応する、この国が拭いきれないお上意識に疑問符を投げかける。極限の緊張状態、タブーだらけの状況で、「笑い」のプロとしていかに仕事をするべきか。そこには「笑い」の本質が隠されている…かもしれない。

ACT1 第六師団 from 第16回公演「G・H・Q」

世界征服を企む“悪の秘密結社”。
当面の敵であるライダーを倒すため、百近くある各師団の首領と幹部が集合し、最高幹部を交えて、年に二回開かれる幹部会総会、舞台はその会場、第六師団のテーブル。そこで繰り広げられる、どうでもいい会話。逆らえない、厳しい組織の掟。さて、本日の議題は…。
エンディングを含めて改訂を加え、よりシュール度を増し、完全版として再演。本公演のみ復活する宮崎宏康の特殊美術にも注目。

 

ACT2 「夏恋~季節外れの林檎と夏蜜柑」 from 第16回公演「G・H・Q」

 

“悪の秘密結社”で働くショッカーたちの恋物語。
ショッカーの元に届いた黒紙。それは、戦場への出動命令である。今まさに愛を育み始めた二人にはあまりに辛い知らせ。名誉の戦死を誓うショッカーに、思わず行かないでと叫ぶショッカー。そこに先輩ショッカーが現れて…。果たしてショッカーの愛の行方は。
ただし、台詞は全て「キィー!」で表現され、その内容がスクリーンに字幕で出る。ナンセンス・字幕・パロディー。

 

ACT3 「ロールプレイングゲーム」 from 第19回公演「ブツダンサギ」

 

ある朝、勇者は王さまの元に出向き、冒険の旅に出ることになった――。
フィールドを歩き回り、敵と戦い、ゴールドと経験値を稼ぎ、町で情報を集め、仲間を集め、時々死んだり、生き返ったり…。
あまりにも有名な某RPGを演劇でやる試み。ゲームの中の剣と魔法の世界を立体化するとどうなるか。

ACT4 「天覧コント~大森ヘップバーンのチャンピオン」from 第22回公演「ヘンダーソンVSアンダーソン」

とあるビルの一室に集められたお笑いコントグループ「大森ヘップバーン」。春に行われる「天覧演芸会」に招聘されることとなった。その初めての打ち合わせ。緊張の面持ちで待つ四人。そこに現れたのは…。
果たして彼らは“あのお方”の前で、無事に、コント、を、上演、できる、の、か? イデオロギー批判や、政治的主張ではない。しいていうなら、犯しきれないタブーと、不気味に纏わり締め付けられているこの国の世間体を、笑う。

Producer's note

「泣かせる」よりも「笑わせる」方が難しい、というのはよく言われる。

 

つまり、悲劇よりも喜劇の方が難しいということだ。至極単純に言ってしまえば、悲劇は普遍的で、喜劇は現代的なのだろう。「泣き」のツボというのは、時代を超えても変わらないけれども、「笑い」のツボというのは、時代と共に変わる。悲劇の古典というのは数多く存在するが、喜劇の古典というのは悲劇に比べて数が少ないのではないだろうか。

 

作品と観客がつながる回路には、演出家の個的な主張/哲学と、普遍的な主張/哲学の両方が必要ではないかと最近考えている。あるいは、個的な主張/哲学を普遍的に変換する必要があるのではないか。最近の芝居は、個的な主張/哲学しかなくて、共感できる幅が大変狭く感じるものが多い気がする。すると、舞台上で行われていることが“個人的”な活動になり、演劇人は「いいねえ、好きなことが出来て」と言われてしまう。観客とつながらないので、関係なくなってしまうわけだ。

 

ベトナムの作品も、作家や俳優たちの個的な「面白い」はそのままに、普遍的なテーマを…。

いや、笑わせたいだけだな。

 

そこに向かって試されるさまざまな試行錯誤が、結果的に時代を敏感に読み解き、現代的かつ普遍的な芝居を作る。のだと信じたい。

 

本日はご来場いただきましてありがとうございます。
最後までごゆっくりお楽しみください。

ベトナムからの笑い声  丸井重樹
(2008年2月)

 

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