第22回公演『洋一の牙』
ポスト・パフォーマンス・トーク(2/4)
黒川猛(THE GO AND MO’S)×岩崎正裕(劇団●太陽族)
2016年4月16日(土)終演後、津・あけぼの座
伝説の競作『セルフィッシュボンド』
岩崎 それで、ちょっと昔話もしなきゃって言ってたんですけど、“劇団●太陽族”(※3)のことをご存知のお客さまもいらっしゃると思うんですけど、(作風が)違うんですよ、全く。ね。
黒川 全くですね。
岩崎 僕達に接点はあんまりないはずなんですよ。ところがなんと、2000年ですね。
黒川 15、6年前ですね。
岩崎 合同公演やってるんです。“ベトナムからの笑い声”と。なんとそれに、“売込隊ビーム” (※4)の横山拓也も関わっている。
黒川 関わってますね。
岩崎 この三者が競作をして作品を創るという、暴挙に出たことが。
黒川 あれは暴挙だと思いますね。噛み合う人間三人ではなかったですね。
岩崎 そうなんです。それ経緯は、なんででしたっけね。
黒川 何かの大会に出たときに、売込隊(ビーム)が優勝して、うちが二位で、…そこでも二位なんですけどね。で、合作をやろうと。
岩崎 そうそう、学生のフェスティバル(※5)で。“ベトナムからの笑い声”と“売込隊ビーム”が優勝と準優勝で、翌年のフェスティバルで合同公演をやろうと。二つの劇団だけでやるとたぶんまとまんないからということで、フェスティバルの実行委員長が直々に、「お前まとめろ」って僕に振ってきたんですよ。それで、三者集まって。
黒川 集まりましたね。
岩崎 何しようか、ということになるわけですけど、横山くんはシチュエーション(コメディ)でしょ。黒川くんは今と何も変わらない。僕はどちらかと言うと<演劇大好き>な作品をやってます。これどうしようかとなって。
黒川 困りましたね。
岩崎 困りましたね。で、ユニット名は“トリプルメーカープロジェクト”と決まって、作品のタイトルは黒川くんが決めたんです。『セルフィッシュボンド』はそうだったよね。横山くん?
黒川 僕ですね。なんで『セルフィッシュボンド』になったかはわからないですけど、昔コントで書いたやつが余ってたんで、そのタイトルを。僕タイトルはあんまり関係ないんですよ。毎回タイトルは邪魔くさいんで、『セルフィッシュボンド』だって。それが通って。
岩崎 で、とにかく三人で会って書こうってことになって、
黒川 なりましたね。一部屋でね。
岩崎 僕が借りていた六畳間で。四天王寺の、古い六畳一間に、缶詰になったんです。三人で。
黒川 ボロボロの…。こんなこと言うのなんですけど。
岩崎 いや、ボロボロでしたよ。
黒川 僕、何より、早くあそこの部屋を出たかったんですよ。ここに男三人はきついなって思って。だから僕早かったでしょ。
岩崎 そうなの。夕方六時ぐらいから、とにかく一晩でそれぞれ作品を書き上げて、それを接着しようっていうことだったんだけど、黒川くんは一晩で書き上げちゃったんだよね。
黒川 書きましたね。
岩崎 なんか、ルーズリーフみたいなやつかな(※6)、ノートになんか、「うわー」とか言いながら、「できた!」って夜中の三時ぐらいに言ったんだよね。それをほぼ最後まで書き換えなかったんですよ、あなたは。
黒川 僕あの、早いんです。ぱぱぱって書いて、あんまり考え…。さっき観ていただいた通り、考えたような作品ないでしょ?
※3 劇団●太陽族…1982年、大阪芸術大学舞台芸術学科当時1年生を中心に旗揚げされた「劇団大阪太陽族」の活動を経て、1990年「199Q太陽族」と改名。2001年から現在名で活動を継続。オウム真理教事件、神戸児童連続殺害事件など、社会で起こる事件や現象をモチーフに取りながら、人と人との関係性に重点をおいた、普遍性のあるドラマ作りに定評がある。(公式サイトより)
※4 売込隊ビーム…1996年、大阪芸術大学在学中に旗揚げ。突飛な状況設定を、気の利いたトリックと巧みなウソででっち上げ、鋭くもとっつきやすい会話劇を展開。2011年からしばらく充電中。
※5 学生のフェスティバル…大阪演劇祭(1999年~2001年)で行われた、学生劇団を対象としたコンクール“CAMPUS CUP”。初年度のみ扇町ミュージアムスクエアで上演が行われ、最優秀賞に売込隊ビーム、優秀賞にベトナムからの笑い声が選ばれた。その後、舞台は大阪市立芸術創造館に移され、歴代の受賞劇団には“デス電所”“A級Missing Link”“烏丸ストロークロック”などがある。ちなみに最優秀賞と優秀賞の劇団が翌年に合作する企画は、1年で打ち切りとなった。
※6 ルーズリーフ…黒川の脚本は、罫線のあるルーズリーフの裏にかかれていることが多い。なぜ罫線の方(表)を使わないのかは不明。昔はその手書き原稿を受け取り、制作がPCに打ち直していた。『セルフィッシュボンド』の時にどうしていたのかは不明。