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Producer's Colum 02

最初に出会ったのは「夕暮れ社 弱男ユニット」の村上慎太郎さんでした。

公演を見る前から、京都造形芸術大学の舞台芸術学科になんか変なコトやってる奴がいる…という噂を聞いていました。しばらくして、今回のリーディング公演の会場である、東山青少年活動センター 創造活動室で行われた公演『世界と戦うために』(2008年)を観たのが最初です。その時はただの観客と演出家でしたが、その後、私がコーディネーターをしていた、今は無き精華小劇場と芸術創造館の連携企画「CONNECT」に応募され、映像審査を経て芸術創造館で上演した『現代アングラー』で優秀賞を獲得するのでした。バージョンアップした『現代アングラー2009』を精華小劇場で上演。その時から、肝の座った演出家だなあ、と注目していました。

村上さんに『ローランドゴリラとビーバー』を当てた理由は、彼の最近の作品が持つコメディ的要素との相性と、いわゆる「物語」のしっかりしたコメディに取り組んでみてはどうだろうと思ったからです。村上さんの特徴でもあり面白いところは、舞台空間に仕掛けられた仕組みであったり、俳優に異様な負荷をかけるシステムの<アイデア>で、それがただの思いつきではなく、例えば既存の演劇への批評になっていたり、強調したい要素がはっきりと立ち現れるための必然性であったりして、そこには毎回感心させられるのです。しかし、そのワンアイデアで作品を成立させるにはちょっと弱くて、そこにそれを補助するしっかりとした「物語」あるいはストーリーという意味でなくとも「構成」があれば、もっと面白くなるのにな、と思っていました。そこで、日本を代表するコメディ作家、しかも一流のウェルメイド作家であるMONOの土田英生さんの作品を上演することで、飛躍するためのヒントを得られるのではないかと思ったのでした。また、リーディング公演でかつ既存の脚本ですから、いつも使う空間の仕掛けや俳優への負荷をかけられない。最大の武器を封印し、台詞のやりとりと間、物語の力だけで作品を魅せる、そういう挑戦をしてもらおうと考えました。

 

次に出会ったのは「何色何番」のたかつかなさんです。たかつさんは劇作家・演出家であると同時に、いくつかの劇団の衣装を手がける作家でもあります。本人がインタビューでも答えている通り、数少ない女性の作家です。最初に彼女の作品を観たのは、「交換ノート企画」という企画で上演された作品でした。これは、3人の劇作家・演出家が、それぞれ脚本を提供し、別の人の脚本を演出するというもの。3作品の内、彼女が書いた作品と、彼女が演出した作品を見ました。先に彼女が書いた作品を見て、久しぶりに<女子>の作品を観たな、という印象を持ちました。男性と比較した女性ではなく、女性が女性を、嫌悪感と好感を同時に抱えながら書かれている作品。生物学的な女性、社会学的な女性、そのどちらでもない、女子にしか書けない女性を扱っている。彼女が演出した作品では、おそらく全く彼女のカラーではないであろう戯曲を、無理矢理ではありましたが自分の世界に引っ張り込み、自分の色に染めてしまいたい、という意思を強く感じました。なるほど、作家としてだけではなく、演出家としてもある自力を備えている。その後「何色何番」の本公演を観て、面白かったのですが、逆に、作・演出であることが自家中毒的になってしまっているのではないか、という印象も持ちました。

『ソソラシド』は、たかつさんの作品ほどドロドロした女子の話ではないけれども、男性には書けない話だろうな、と思っていて、それを演出するのはたかつさんがいいな、と思いました。また自家中毒的になってしまっている状況を打破するために、この企画を使ってもらいたいとも思いました。自分の好きな範囲で、ペースで、ずっと一緒にやっている俳優とやるのではなく、年上と年下の、全く面識のない俳優を混ぜることで、自分があたりまえだと思っていることが実はどうなのか、客観的に見なおす機会になればと思ってお誘いしました。

 

最後は「努力クラブ」の合田団地さんです。名前が印象的なので、なんとなくは気になっていましたが、「努力クラブ」の『よく降る』という作品を観た同世代の演出家数名から、「めちゃくちゃ面白かった」と聞いたのがちゃんと意識した最初でした。その後、『家』という作品と出会います。この『家』を観たことが、実は今回の企画の発端でした。この作品を創る人と鈴江俊郎さんを出会わせたい。そしてできれば『そこにあるということ』を上演させてみたい。

『家』は、何人もの女の子が冴えない男の家に次々とやってきては、優しくしたり冷たくしたり、甘えたり怒鳴ったり、殺されかけたり殺そうとしたりする話でした。これはおそらく、男子にしか書けない作品だ。しかも男子特有の僻みや思い込み、そしてどうしようもない寂しさ、虚無感、そういった感覚を露わにした作品でした。その特徴は自ずと鈴江俊郎に行き着いたのでした。鈴江さんは、現在は東京へ移られましたが、1990年代から京都を拠点に活動し、男子特有の寂しさや虚しさについて、ずっとテーマにしてきました。この二人は出会わなければならない、と、勝手に思ったのが、この企画を遂行しようとしたきっかけです。鈴江さんと合田さんの違いを挙げるとすれば、合田さんの作品には、鈴江作品にはないある<狂気>をはらんでいるということでしょうか。そこが、現代の20代の状況をうまくすくい取っているのだと思います。

 

3人の演出家はそれぞれ全く違うカラーを持っています。

その3人が同じ舞台で競演する。自分が観たいと思った作品を、一度に観られることは企画者の醍醐味です。もちろん、それをたくさんの皆さんに観ていただくことが、企画の目的です。まだ知らない人たちに、ぜひとも紹介したい3名の演出家たち。新しい出会いを見つけに来てください。

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