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自分の弱さを認めること

広瀬泰広「とんでもない関係の彼方に」(『演劇情報誌 JAMCi』1997年2月号 vol.27 松本工房)より

  『そこにあるということ』の主人公(水沼健)は、女にだらしないのではなく、必要以上に誠実であったのかもしれない。彼はドンファンなんかじゃない。自分の弱さを克服できず、女に甘えてしまっただけなのだ。それを彼女たちは彼の優しさと誤解して関係を持ってしまい、さらには不用意にも妊娠してしまう。避妊しなかった彼にも問題はあるが、彼はセックスを望んだのではなく、女の温もりが欲しかったのだから、ビジネスライクに行為の時、サックをつけたり出来るわけがないのだ。反対にそんな彼を受け入れてしまった女たちは、どこかで妊娠を望んでいたのではないか。ずるいのは彼ではなく女たちの方である。もちろん彼女たちだって寂しさから彼を受け入れてしまっただけで妊娠が目的であろうはずはない。だが今、彼女たちはそのことを突きつけ迫ってくる。

  3人の女たちを同時に妊娠させた彼は、彼女たちからどう責任を取るのかと詰め寄られる。しかし、彼にはどうしようもない。そんなこと彼女たちだって分かっているはずだ。そこに彼の妹と故郷に残してきた恋人までもがやってきて、その2人もまた妊娠していると彼に訴える。ここまで行くと喜劇でしかない。それを鈴江俊郎は淡々としたタッチで見せていく。水沼のすまなそうな、それでいて憮然とした表情がいい。妹は、もちろん彼が孕ませたのではないが彼らの精神的な近親相姦も含めてスリリングに描かれている。「5人共子どもを産んでくれ」なんていうとんでもないことを口走ったりするが、この芝居の本音はそんな気持ちの中にありそうだ。彼らは誰かを求め、その誰かに慰めてもらいたかっただけなのだ。自分の弱さを律することが出来ず体の温もりに逃げたのだ。だから男は、彼でなくてもよかったし、その相手は生まれてくる子供でもいい。誰かとつながっていることで安心を得たいだけである。

劇団八時半『そこにあるということ』(再演)(1997年1月、ウイングフィールド)

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